<第2部>は、実践者のお話を聴こう!
山梨の市町村議会を経験した女性の皆さんから、10分ずつお話を聞きました。

●山梨市議会議員 小野鈴枝さん
【自己紹介】
・市議を6期
・初の立候補は50才、その時の山梨市の女性議員は0人。
→女性3人が立候補して全員が当選
・きっかけは息子二人が東京の大学へ行き、子離れ、ぽっかり穴が空いた。
・40代後半、ぴゅあ総合で学習の機会
・リメイク農村という活動で、女性を議会へ。月2回の勉強会。
・女性の模擬県議会に参加
→学んだ事を地域へ
・地元で勉強会。介護保険や環境、ゴミの分別のことなど
・メンバーから選挙に立候補しようという事になった。
【選挙の準備】
・家族に相談したら義父に「俺たちのご飯はどうなる?」
・夫は「勉強はいい事だけど、なんでお前が立候補するんだ。」
「選挙に出るなら離婚」とも言われた。
・2ヶ月、冷戦が続いた後、応援してくれる事になった。
・いったん出るとなったら、すごく応援してくれた。
そこには「選挙に落ちたら、この地域にもう住めない」という気持ちも家族にはあった。
・体制づくり、後援会、役員はどうする?
・地域の人の応援はなし。
色々な役員している女性に頼んだが
「落選するかもしれない人の応援はできない」と言われた。
・結局、一緒に勉強していた最初のメンバーが力になってくれた。
・仲間が自分の問題として動いてくれた。
・その選挙スタイルをずっと貫いている。
【議員になってできる事】
・議員は市民の声を行政に届ける。それが一番大きな事。
・議場で問いただしていく。議事録にも残る。
【議員として、女性だからできた事】
①小学校の給食の4月スタート
・議員一年目の3月議会。
・その頃は、4月の1ヶ月間給食なしで、子どもは学童に行けず半日で家に帰る。
・看護師など仕事をしている女性、1ヶ月も休めない、死活問題。
・給食さえ始まればと訴え、4月から開始する事になった。
・今は4月から給食があるのが当たり前。
②ゴミの分別
・勉強会のメンバー10人でゴミを分別して業者に届け、記録をとった。
・その結果、今はリサイクルステーションができたりしている。
・山梨市は環境問題については進んでいる自治体だと思う。
●忍野村議会議員 櫻井をさみさん
・村議会に女性は一人
・固有の慣習、男尊女卑、女性が立ち上がる難しさがある
・最初から議員になろうとしたわけではないけれど、
男女共同参画の委員長として推進をする中で立候補する事になった。
・村で「委員長」という立場に女性がなるのは初めてだと言われた。
・生活と政治は常に密着
・当時、夫は単身赴任。両親と子どもと住んでいた。
・立候補が決まって、夫も一緒に近所を回ったが、選挙に出るのは夫だと思われた。
自分が立候補すると伝えるととても驚かれた。
・今は、3期目になってそういう事は言われなくなっている。
・忍野村の人口約9700人。 35年前に主にロボットを製作しているファナック(株)が本社移転して社宅に2000人程の社員が生活を送り、子供たちは村内の小、中学校に通っている。その為に忍野村は少子化ではなく、高齢化率も山梨県下で下から2番目に低い地域です。その他、自衛隊北富士駐屯地、障害者施設「聖ヨハネ学園」など人口構成で考えると、非常に多様的な地域である。
・そのような所で、政治を行うには暮らす住民の人たちそれぞれに合った政策提案をする必要がある。
・選挙の準備に特別なことはしていない。
・忍野村の中でも人口の多い地区に住んでいた。人が多くて多様なところ。
・事務長をやってくれる人、10人くらい声をかけても引き受けてもらえなかった。
・夫から男女共同参画の仲間がいるじゃないかと言われ、
一緒に活動していた長年付き合いのある女性に頼んで引き受けてもらった。
・忍野村には会派というものはない。
・提案して議決に持っていくには、方法として、女性は、大きいことじゃなくて、
細かいところの隙間に気づいて・・・も一つの方法ではないか。
・そのために必要なことは情報を集めること。
国や他の地域の事を勉強して、それが忍野村でできるのか?
・ファナックの社員の子どもが通う保育園がなかった。隣の自治体へ通っていた。
村の支援で無認可保育所や森の幼稚園。後に認可になった。
そういうところは女性が気づきやすい。
●甲斐市議会議員 滝川美幸さん
・2期目、62才の時に出馬。
・民生員を3期、甲斐市教育委員会を23年間。委員長も務めた。
・仕事が好きだった。こういう仕事が自分には合っているな。
・竜王つばさの会、女性の海外派遣・研修の10回生
・41才の時にスウェーデン、ドイツ、オランダを回り、とても刺激を受けた。
・スウェーデンではホームステイをした。その当時で、議員数131人の41%が女性。
閣僚22人のうち11人が女性。文科省大臣の30代の女性は2人の子どもを連れて。
・そんな事を聞いたり見たりして、なんて日本を遅れているんだろうと思った。
・研修を受けた人は帰ったら地域のリーダーになってと言われた。 その経験を元に地域で何をしたらいいか考えてきた。
・それから28年が経つけど、日本の現状は遅々として進まず。
・公明党は常に女性を選出しているが無所属の女性議員は空席が続いていた。
・ますます会という女性の議員を増やす事を目標にした会に入っていて、
メンバーの中で年の若い人ということで私が選挙に出ることになった。
・それまでは家庭を抱えて、ずっと断っていた。
夫が定年退職し、手伝えるよと言ってくれ、議会に挑戦した。
・皆さんが家に来て、夫に話してくれた。未知のことに挑戦を決めた。
・どのくらい家族が協力してくれるかは大切。
・選挙では、ますますの会の支援が大きかった。
ボランティアでお金を使わず手伝ってくれた。
・応援してくれるグループがあるということは大きい。
・今は無所属の女性議員を残せるかどうかの責任を感じている。
・甲斐市は大きい市なので、言ったことが形になるのは難しい。
・市民からの電話や家を訪ねてくれた時は一生懸命話を聞いた。
議会へ届けことをしていかなくてはならない。
・形には見えない仕事だが、しっかりやる。
●元・富士川町議会議員 永井寛子さん
・25年前、48才の時に議員に立候補。
・女性は初めてで一人。
・議員になったきっかけは、増穂町時代のゴルフ場建設に対する反対運動。
・ゴルフ場は大変な農薬を使う。建設予定の山は町民の水源地。
・当時は、若いママ達とゴミ問題に取り組んでいて、
4年かかってゴルフ場の反対運動、裁判まで行った。
・ちょうど町議会の改選期がきて、議員全員にインタビューをした。
「この町の将来に何を思ってゴルフ場建設なのか?」
・帰ってくる答えに、こういう議員にこの町を任せていいのか?と思った。
・ゴルフ場賛成と反対が争い、選挙では2位当選だった。
・議員になったら町長から贈り物、県議からもきた。
・自分が町の議会の中に入って、
それまでわからなかったことが、恐ろしいほどにわかった。
・県議会議員の選挙があり、無投票で決まろうとしていた。
・周りの人に立候補をお願いしたが、あの組織力にはかなわないと断られた。
・自分は町議として1期目だったが、辞職して県議会に立候補した。
・周りはびっくりしたが、永井さんが決めたことだったらと応援してくれた。
・自分たちなりの選挙ができたが落選。
・議員でなくても市民の立場で町づくり。
議会にお願いというのはイヤ。全部が陳情型ではダメ。
・一緒になって町づくり。住民がしっかりしていないと、いい議会はできない。
・10人でNPO法人スペースふうを立ち上げた。http://www.spacefuu.net
・次の町議会議員選挙で、議会から、また立候補してほしいと言われた。
・当時の町長が「女性がいない議会はだめ」
・告示の3日前に立候補を決め、仲間にポスターの写真を撮ってもらって自力で選挙活動。
・2014年まで議員をして、NPOと2足のわらじだったが、NPO一本に絞ることにした。
・議員としてやってきたことは議会の改革。
議会改革がなかなか進まないため議長に立候補し、
議長として議会改革に取り組んだ。
レポートその3へ続きます!
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